【 2019年度 ( 令和元年 ) の研修会 】
                                             令和元年8月12日
                                                 秋田県横手市 横手駅前
                                                    横手市交流センターY2ぷらざ
        
  ○ 講 演

   「横手の歴史」から学ぶこと・考えること
       ~「かまくらのまち」 の歴史をひもとく ~

       講師   高 本  明 博   氏
  
 

   現在、横手市役所に勤務され、     
    横手郷土史研究会会員である。     
  また、本育英会の奨学生OBでもある

研修会の概要】
   

  ◆ 「よこて(横手)」ってどういう意味なの?

      「横(よこ)の土手(どて)」、よこどて、よこて・・・・・。菅江真澄は「横の土手」が縮まって
       「横手」になったのではと推測した。

  ◆横手の地名はいつからあるの?
       文和2年(1353年)の史料に「山北平賀横手」とあるのが初見
  ◆ 横手の歴史はどんな歴史だったの?
    ① 旧石器時代・・・・・横手盆地には「ひと」が住み、生活を送っていた。
    ② 縄文時代
・・・・・・人々は土器作りに励んだ。  ※「縄文土器」は現代アートに通じる至高の芸術
    ③ 弥生時代
・・・・・「米どころ・秋田」は、ここから始まった。
    ④ 古墳時代
・・・・・東北地方は「北部社会」と「南部社会」で文化が異なり、横手はこれらが複雑に混じり
             合っていた。

    ⑤ 飛鳥・奈良時代
・・・・・天平宝字3年(759年)出羽国に「平鹿郡」が置かれた。
    ⑥ 平安時代 ・・・・・永保3年(1083年)から寛治元年(1087年)にかけて、横手地方を中心に「後三年合戦」が
             起こった。

  ◆ 「後三年合戦」を知ろう!
       奥羽一帯で勢力を誇っていた豪族の清原氏が、跡目争いで兄弟げんかを起こし、そこに源氏の武士
       源義家が介入して、大きな内紛に発展した。

    ① おもな登場人物 ・・・・・・清原清衡・清原家衡・清原武衡・源義家
    ② おもな古合戦場Ⅰ ・・・・・沼柵 雄物川町の蔵光院辺り
    ③ おもな古合戦場Ⅱ ・・・・・金沢柵 金沢公園の辺り
    ④ 史料  ・・・・・「後三年合戦絵詞」

  ◆ 横手の歴史はどんな歴史だったの?
    
 鎌倉~室町時代・・・・・・「戦国時代」となり、日本中の武士が「天下」をとろうと必死になった。
           ※ 稲川の小野寺氏は沼館を経て横手に移り、勢力を拡大していった。
    ⑧ 江戸時代 ・・・・・秋田には常陸国から佐竹氏が移り住み、秋田藩となった。
           ※ 横手城には「城代」が置かれ、伊達氏-須田氏-戸村氏が務めた。
    ⑨ 江戸~幕末 ・・・・・薩摩・長州の官軍と幕府軍が戦った戊辰戦争に秋田藩も巻き込まれた。
           ※ 秋田藩は官軍に付いたため、幕府側に付いた近隣の藩から攻撃を受けた。
           ※ 戸村大学が治めていた横手城は慶応4年に陥落した。
           ※ 戸村大学は生き残り、明治38年、横手町の町長に就任した。
   ◆ 横手の「かまくら」を知ろう!
       ○ 「かまくら」とは何か
       ○ 「かまくら(鎌倉)」の歴史
         左義長行事を、秋田では「カマクラ」と言う。
            ※ 左義長 ・・・・・・ 小正月に行われる火祭りの行事のこと
       ○ 秋田県内の「かまくら(鎌倉)」行事
         秋田市楢山、角館、六郷など各地のカマクラ、鷹巣の火祭りカマクラなど
  ◆ 鎌倉(かまくら)の語源をさぐる

      ① カマド 説
      ② 鎌倉幕府 説
      ③ カミクラ 説
      ④ 鎌倉(権五郎)景正(かまくらごんごろうかげまさ)説

  ◆ 鎌倉景正の伝説
      ○ 「後三年合戦絵詞」に見られる勇猛ぶり
      ○ 鎌倉大明神化と「御霊(ごりょう)信仰」の融合
  ◆ かまくらの歴史について考える

      ○ かまくら行事は、佐竹氏とゆかりの深い地域で見られる。
      ○ 雪室(ゆきむろ)を「鎌倉」と呼ぶのは秋田藩だけで、秋田で生まれた用語
  ◆ 横手のかまくらを知ろう

      ○ 「かまくら」のルーツを求めて
      ○ 円筒のかまくらは昭和60年頃から顕著になる
      ○ 昭和11年(1936年)、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが来日し、かまくらを絶賛した。
      ○ 江戸時代の内町(武家町)の小正月行事「鎌倉」と外町(町人町)の人々が信仰していた「水神信仰」
        が明治時代になってから融合し、現在の「かまくら」行事が発生した。
      ○ 横手のかまくらは「450年以上の歴史がある」と言われたりすることがあるが、雪室(ゆきむろ)に
        子どもたちが入って楽しむ風景は、100年に満たない可能性がある。
  ◆ 史料(記録)の重要性
      ○ 史料がなければ、後世の人々は過去に何があったのか、どのような経緯で、今、何があるのかを正しく
        知ることができない。だから、史料(記録)というものが大事なのだ。
  ◆ おわりに
          STUDY THE PAST : 「 過去に学べ 」 
          WHAT IS PAST IS PROLOGUE : 「 過去は未来の序章である 」

     
 
   【 ワークショップの発表から 】
  A班   ○ 深い歴史を知ることができた。
       ○ 「かまくら」について正しい認識を広めていったら良い。
       ○ 語源を考えたことがなく、知識が深まった。

  B班   ○ 後三年合戦のことが詳しく分かった。
       ○ 質問①:源義家は敵なのに、なぜ英雄視されたのか?
         質問②:横手市の保育環境の現状について教えて欲しい。
         質問③:なぜ市役所に入ったのか?

  C班   ○ 語源が分かって、出身地等を聞かれたときに生かせる。
       ○ 小・中学校の時に、このようなことをもっと学びたかった。
       ○ 質問:歴史上の書物のくずし文字をどのようにして読むのか?


 【 聴講者からの質問への応答など 】

    ① 美郷町仙南 雁の里の「雁行の乱れ」について
    ② 古い書物は、主に公文書館で保管し、個人宅、時に仏壇の奥から出てきたりすることもある。
    ③ くずし文字にはルールがあるので、訓練すれば読めるようになる。
    ④ 雪室を「かまくら」と呼ぶのは横手だけ。横手がルーツの可能性がある。
    ⑤ 横手市の保育環境について、ニーズは右肩上がり。共稼ぎで三世代家庭が少なくなり、学童クラブ等の
      需要が高まっている。しかし、放課後児童の支援員のなり手がなくて困っている。